若宮八幡社の由緒
- 大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)
- 第15代応神天皇(おうじんてんのう)の御子神でいらっしゃいます。本来、応神天皇の長兄であった菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が天皇の御位につかれるところでしたが、時の趨勢により弟神である大鷦鷯尊が即位され、第16代仁徳天皇となりました。都からご覧になるも民の家から竈の煙が上がらないことを憂い3年間は税を徴収せず、御自身も慎ましい生活を営まれた話は夙に有名です。
人皇第65代花山天皇の御宇、寛和元年(985年)12月、従五位下 紀兼貞朝臣(紀田家の祖)が勅宣を奉じて、伝灯大法師(南都大安寺の行教和尚の直弟)と共に京都男山石清水八幡宮若宮四所の御尊像を守護し奉り、この豊後国速見津郡八坂郷に下向致しました。下司村柏島に鎮座し奉ったのがその最初で、今を遡ること壱千有余年の昔のことであります。
元来、この八坂郷は宇佐の神領に属していたが、石清水八幡宮が京都男山に御鎮座になると共に、貞観の頃から石清水八幡宮の神領となりました。しかし、土地は京都から遠隔であるし、海路暴風とか海賊などの災いもしばしばであり、貢物の輸送もなかなか意に任せられませんでした。ここに畏くも宇多天皇の第8皇子の一品式部卿敦実親王が、この途中の平安と神領地の五穀の益々の豊穣を熱願されて、御手づから八幡大神の若宮即ち大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、宇礼姫(うれひめ)、久礼姫(くれひめ)の四柱の御尊像を白檀木に奉彫され、延喜14年(914年)8月、仁和寺で開眼供養を遊ばし、これを石清水八幡宮の神殿に奉安せられました。当社は即ちこの四所の御尊像を奉遷申し上げたもので、今なお壱千有余年の御神威をそのままに御神殿の奥深く鎮まりまして居られるのであります。
平成28年5月撮影時
かくして当社は多くの神社とは異なり、畏れ多くも勅命によって御創建になった神社であり、誠に畏き極みであります。
その後、天喜5年(1057年)3月生地村岳に、承安3年(1173年)9月中村に、そして嘉暦元年(1326年)11月現社地(金鷹山の聖地)に御遷座申し上げ、明治6年郷社に、大正10年県社に御列格になりました。累代藩公の氏神として尊崇篤かったことは申すまでもなく、地方郷民の宗祀として愈々御神威のいやちこに亘らせられることを拝し奉るのであります。
石清水八幡宮が鎮座される男山は京都の都から見て裏鬼門(西南)に位置し、鬼門(東北)に位置する比叡山延暦寺と共に都の守護と国家鎮護の社として篤い崇敬を受けていました。平安時代の初め、清和天皇の貞観元年(859年)南都大安寺の僧・行教和尚は、宇佐神宮に参籠し八幡大神の「吾れ都近き男山の峰に移座して国家鎮護せん」との御託宣を賜り、同年男山の峰に御神霊を御奉安申し上げたのが石清水八幡宮の起源です。
そして朝廷は翌貞観2年(860年)男山に八幡造りの社殿を造営し、4月3日に御遷座されました。代々紀田家の祖先である紀氏は石清水八幡宮の神官として奉職しておりましたが、御遷座から御代下りて丁度125年後の寛和元年(985年)に前記の如く紀兼貞朝臣は神像を奉戴し、瀬戸内海を西航の上八坂郷に至ったのでありました。若宮八幡社でも明治百年を奉祝した行事が行われ、当時の田中文清宮司揮毫による記念碑も境内に建っております。
若宮八幡社本殿の横に摂社「和漢将軍社」が祀られている。祭神は杵築藩の初代藩主である木付親重公である。親重公(1225年~1285年)は、杵築地方開発の始祖と仰がれ、またお名前通りに学問の神様として広く崇敬を集めている。建久7年(1196年)に大友能直が豊前豊後の守護職となった。建長2年(1250年)大友家2代親秀の六男親重が木付に封ぜられ、3500貫を領した。
建長元年(1249年)大友親重は、大将軍藤原頼嗣に謁し、従五位下に叙せられた。父から速見郡武者所として、3500貫を受け、豊後国八坂下荘木付邑に下向した。はじめは鴨川の桶屋敷に居たが、竹ノ尾城を築いて移り、大友の姓を木付に改めた。
親重は若武者であった25歳のとき、御嵯峨天皇の第1子宗尊親王から「和漢将軍と称すべし」と褒めたたえられたのがその名の由来であるほどの文武兼備の智将である。
弘安4年(1281年)蒙古軍来襲のとき、鎌倉に詰めていた大友氏3代頼泰の名代としてその兵を指揮し、770余騎を率いて博多に出陣、蒙古の大軍を八角に襲い、その5000騎を撃退し、大船5隻を捕獲した。
弘安8年(1285年)2月18日、嶽ノ尾城内で没した。行年60歳であった。若宮八幡社の社殿と並び「和漢将軍社」の霊廟には、その命日である旧暦の2月18日に毎年、若宮八幡社の摂社として祭祀が斎行されている。
若宮八幡社開運祖霊講は、この度開運祖霊講の寄進により、平成31年3月21日に祖霊社が建立され、講員30世帯のご先祖様350有余柱を鎭斎申し上げました。
神道宗旨家庭の方で構成される祖霊講です。敬神生活の綱領にもとづき、若宮八幡社の神慮を畏み、祖訓を継ぎ祭祀に勤しむことを目的とした講組織であります。若宮八幡社境内の美しい自然環境と文化遺産の維持管理や講員相互の親睦と助け合いを柱とした和気藹藹とした雰囲気のなか「春秋彼岸の中日に祖霊祭斎行」「年に一度の総会開催」などの活動を行っております。
新たに入講を希望される方/入講料:10,000円(別途年会費:2,000円)
若宮八幡社累代宮司家である紀田家に大変ゆかりのある家柄としては、物集(もずめ)家が挙げられます。
物集高世と高見が詠んだ短歌二首をご紹介します。
物集高世
物集高見